煎茶道 黄檗売茶流(おうばくばいさりゅう)のお稽古を始めて2年過ぎた。
茶道裏千家は長く稽古しているが「茶」を嗜むのに煎茶も知らないのは片手落ちかもしれない、と思ったのがその始めのきっかけだった。
煎茶はもともとは中国明の時代に俗世を離れて茶を飲み語りあいたいという文人墨客が嗜んだそうで、その精神は1400年前に作られた玉川盧仝(ぎょくせんろどう)の「清風」の茶歌に象徴されるという。
日本へは江戸時代の承応3年(1654年)、30名の弟子とともに来日した黄檗宗の隠元によって茶の作法も持ち込まれた。煎茶の世界で中興の祖(煎茶の祖・茶神とも)と言われるのが売茶翁。黄檗宗の僧だったが後、僧を辞め(当時の仏教界に異論があったとかなかったとか・・・)売茶をしながら庶民に禅の心を説くようになった。その際に掲げられていたのは「茶銭は黄金百鎰より半文銭までくれしだい。 ただにて飲むも勝手なり。ただよりほかはまけ申さず。」 (訳:お茶の代金は小判二千両から半文までいくらでもけっこう。 ただで飲んでもけっこう。ただより安くはできません。)現在の煎茶道はこの高遊外売茶翁(こうゆうがいばいさおう)の流れをくんでいるといわれている。
「茶の湯」が侘びを重んじたのに対し、売茶翁をはじめとする煎茶愛好者たちは、古代中国の隠遁する賢人のような自由と精神の気高さを表す風流を重んじたという。現在36の流派があると言われている。
黄檗売茶流の手前は家元が改革し立礼のみを正式な茶礼としている。そのため、テーブル上でどのような動きをすれば美しいか考え抜かれた作法で成り立っている。道具を取る手の形、ひじの方向、体の曲げ方に目に見える「美」を追求する。目に見える「美」は形式だけかもしれない。けれども形式を追求する心のうちに自分自身も「美」でありたいという生き方への「美」を追求するようになる。本質は「おいしいお茶を飲むこと」でいいのだけれど、「道」とは生き方を模索する精神の働きのことでもある。お茶を作る単純なことの中に生き方を模索する、とはいかにも日本的だ。
写真:2017年12月10日(日)黄檗売茶流家元嗣 中澤孝典絵画展「新」記念煎茶席
於:アトムCSタワー8階白のギャラリー
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