聞く

 香道では「臭いをかぐ」とは言わず、「香りを聞く」という。「五感を研ぎ澄まして一心に鑑賞する行為を『聞く』という。」と説明されることが多いけれど、なんか納得できないな、というのがいつも思うことだった。そんな疑問にヒントをいただけた学びをした。これは「学説」とか研究者が言ってる…というたぐいのものではなく、学びと想像をミックスした戯言だ。

 人間の感覚には五感がある。これは現代の私たちの常識ともいえるものだけれど、昔はどう考えていたのか?仏教用語では「人間には「根(こん)」という生命活動や感覚の原動力となるものがあると考えられていたようだ。感覚のもとになる眼・耳・鼻・舌・身を五根、それに思惟を起こさせる意を加えて六根という。」

 例えば、「舌根」。舌の表面に小さな穴があり、そこに食べ物が触れると「うまい」だの「まずい」だの感じる・・・現代の「味蕾」を考えていたようだ。

 「耳根」は音の振動を鼓膜が感じて「聞く」ことができる。

 臭覚は長い間そのメカニズムが分からなかったそうだが、現代の研究で明らかになったのは「鼻からにおい物質が入ると、におい物質は鼻腔最上部の嗅上皮と呼ばれる特別な粘膜に溶け込み感知される。すると、嗅上皮にある嗅細胞が電気信号を発生、電気信号が嗅神経、嗅球、脳(大脳辺縁系)へと伝達し、におい感覚が起きるといわれている。」

 つまり、聴覚のように「膜」によって信号が脳へ伝達される、ということらしい。

 「聞く」も「匂う(臭う)」も同じようなメカニズムで人間に感知される。そこで、「聞く」は聴覚、臭覚両方に使われたのではないか・・・。

 現代のように人間の体の仕組みが解明されていなかった時代の人間は感覚的に五感のメカニズムを感じ取る能力があったのかもしれない。現代人はそういう感覚を失ってきているんだろう。

誰そ彼その2

茶道・香道・書・・・・などの勉強から得たもののメモ

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