節分

『「せちぶん」とも。正しくは立春・立夏・立秋・立冬の各前日を言うが、一般的には立春の前日を指す。邪鬼を払うため、宮廷の追儺にならって鬼やらいの豆まきを行ったり、戸口に鰯の頭、柊(ひいらぎ)の枝をさした。これらの風習は室町時代から確認できる。』

(角川:日本史辞典)


『追儺(ついな)

方相氏(ほうそうし)と呼ばれる鬼を払う役目を負った役人と、方相氏の脇に仕える侲子(しんし)と呼ばれる役人が20人で、大内裏の中を掛け声をかけつつ回った。方相氏は玄衣朱裳の袍(ほう)を着て、金色の目4つもった面をつけて、右手に矛、左手に大きな楯をもった。方相氏が大内裏を回るとき、公卿は清涼殿の階(きざはし)から弓矢をもって方相氏に対して援護としての弓をひき、殿上人(でんじょうびと)らは振り鼓(でんでん太鼓)をふって厄を払った。ところが9世紀中頃に入ると、鬼を追う側であった方相氏が逆に鬼として追われるようになる。古代史家の三宅和朗はこの変化について、平安初期における触穢信仰の高まりが、葬送儀礼にも深く関わっていた方相氏に対する忌避感を強め、穢れとして追われる側に変化させたのではないかとしている。』(Wikipedia)

私の実家では節分に「柊鰯(ひいらぎいわし)」を戸口にかけていた。鰯のにおいと柊のとげが魔除けになると言われている。これは西日本に多い習慣だそうで関東では見たことがない。

関西の花街が発祥とされる「恵方巻」はここ20年でコンビニの商戦に使われ関東を席巻しているが、「柊鰯」は商売に利用はできないのかな?。

誰そ彼その2

茶道・香道・書・・・・などの勉強から得たもののメモ

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