紫色の染料は、洋の東西を問わず非常に得難いものだった。西洋では現代のイスラエル・レバノンに住んでいた古代人が巻貝の一種"purpura"の分泌物から染料を発明したそうだが、巻貝1個から出る分泌液はわずかであったため、この染色布が貴重なものであり、ローマ帝国の頃より西洋では高貴な身分の者が身に着けていたという。
日本でも紫は高貴な色とされていた。603年聖徳太子によって制定された冠位制に紫色を用いたというのが最初の記録だそうだ。日本の紫の染料は「紫」あるいは「紫草」という多年草の根から染料を作る。紫は人里近い草原に自生し、群生することなくむら、むら・・・とあちこちに広く咲く特徴があったため「班(むら)にさく」が紫の語源だという。
ムラサキは日本の野山に多数自生していたが、乱採取と生息地である草原の開発により激減したそうだ。「紫根染」のきものが高いわけだ。
特筆すべきは「紫の染料は臭い」ということ。
「自生するムラサキを用いた本紫染のにおいは揮発性の強烈な動物臭である。染め物として客観的にみている際にはにおうことはない。だが、着物として身に付けた時、体温と湿度に反応して想像を絶するアンモニア臭を発する。
平安時代に香が発達した理由は、このムラサキのにおいを消すためであったと言われている。衣服に香をたきしめる風習も懐に匂い袋をしのばせるのも同様である。」(原一菜「『禁色』貴人を包んだ深き色」より)
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