「寛永の雅」サントリー美術館

 豪華絢爛舶来大好きバサラ風の安土桃山時代のあと、王朝復古の時代になる。現在「琳派」と称される元となった俵屋宗達、本阿弥光悦が出てくる時代。茶の湯の世界も利休亡き後、小堀遠州、金森宗和(雅なものが好きで「姫宗和」と呼ばれた)が出てきて「きれい寂び」の時代になる。洗練された意匠は現代ものと言われても納得してしまう。ポスターに使われている「白釉円孔透鉢(はくゆうえんこうすかしばち)」などは現代のマンション暮らしにだって合いそうだ。

 注目は東福門院和子(とうふくもんいんまさこ)の小袖を屏風にした「小袖屏風」。こんな屏風は珍しい。今日観た展示には「白綸子地橋模様絞縫小袖(しろりんずじはしもようしぼりぬいこそで)」と「黒綸子地斜格子菊吉祥文模様絞縫腰巻(くろりんずじななめこうしきくきっしょうもんもようしぼりぬいこしまき)」しかなかったが、展示期間中には展示替えがあるようだ。

東福門院は家康の孫。公武の仲を取り持つ役目を負って入内した。呉服商「雁金屋(尾形光琳・乾山の生家)」の「雛形帳(小袖のデザイン画)」はほぼ和子が注文したのでは、というくらいの「衣装狂い」と言われたらしい。どうもそれは宮中での人脈作りに利用するのが目的だったという説もある。

 香の世界でも東福門院和子は大活躍だった。現代の私たちが香道で使う香の「聞書(ききしょ:香のゲームの種類、やり方が書かれた本)」には「東福門院様御組」の「空蝉香(うつせみこう)」、「御作」の「蓮香(はちすこう)」などの組香が「外組聞書(そとぐみききしょ)」にある。この時代は公家、武家社会に香道がはやり出した頃で、こうした香でも宮中で人脈を作っていったのかもしれない。

 香の世界では上級者になると香木に名前を付けることが許される。(一つの香木に4人が銘を付けることもあり、それは「一木四銘」という)その最高峰が天皇や上皇による「勅命香」。東福門院が命名したものは「院銘」という。それがこの「千代の春」。香木の種類はわからないがたぶん「伽羅」だと思う。

 金森宗和が指導したと言われる野々村仁清の茶入れ「四方茶入れ(よほうちゃいれ:肩の部分が四角になっている。茶弁当箱に入れるからと仁清に注文したらしい)」の数々も自由奔放で見応えがある。びっくりするのが「黒釉金彩肩衝細茶入(こくゆうきんさいかたつきほそちゃいれ)」。細長く背が高い茶入。下三分の一は身が詰まっていて重りの役目をするそうだ。でなければ茶席でひっくり返ってしまう。見応えのある展示ばかりでもう一度会期中に行かなければと思う。

誰そ彼その2

茶道・香道・書・・・・などの勉強から得たもののメモ

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