今月の「古事記を読む会」は「景行天皇」(古事記:中巻)の項。景行天皇の項なのにここでの主役は「倭建命」。
景行天皇には多くの妻・子(80人)がいたが、日嗣の御子(ひつぎのみこ:次期天皇候補)は大后(おおきさき)の3人の子。そのうちの次兄の大碓命(おおうすのみこと)は父の后候補を寝取ってしまう。弟の小碓命(おうすのみこと:のちのヤマトタケル)はそんな兄を人間業とは思えないほど残酷に殺してしまう。まだ16歳なのに小碓命の大胆さ狂暴さに恐れをなした景行天皇は身辺から追い払うかのように熊襲征伐を命じる。小碓命は伊勢の斎宮(いつきのみや)の叔母を尋ね御衣(みそ)・御裳(みも)を借り受ける。「御髪を額に結いたまいき」美少年はこれで女装をし、熊襲建(クマソタケル)兄弟を討つ。
ちょうど「日本橋きもの倶楽部」の勉強会で「歴史の中の女装」を勉強することになっている(4/7)。この倭建命が日本史上初めての「女装」なのだ。熊襲へ行く前に倭建命(このときは小碓命)は伊勢の斎宮(いつきのみや)の叔母(景行天皇の妹)を尋ねて、女装一式を借り受ける。古代の日本では「女性」には「霊力」が宿っているという考え方があったようだ。特に女性の髪(かみ)は霊力を表すと言われていたらしい。そのため神(かみ)と同じ「発音」をするらしいのだ。「か」とは「目には見えないがそこにあるもの」という意味だという。しかも叔母の倭比売(やまとひめ)は神に仕える女性だ。その女性の衣裳を借りるということは「神の力」をいただくことという意味があるらしい。つまり、熊襲征伐は「神の力を借り成し遂げられる=倭の王権の正当性」も表している。
こうした例から日本での「女装」には何かしらの「神」がかり的な要素がある。
講師注:「古事記」は舞台上で上演されるものとして構成されている。この「ヤマトタケル」の話も後半の悲劇をより際立たせるために若い時の残虐性を強調している。
絵:月岡芳年
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