(その1からの続き)は11:40からは弘仁亭の茶席へ。
席主:武者小路千家(官休庵)千宗守
【濃茶席】
床・・・玉舟和尚筆 横物 「山青水緑」
花入れ・・・七官青磁 耳付
花・・・大山蓮華
香合・・・名取川 一啜斎在判
釜・・・・有隣斎好 波地紋 清右衛門造
風炉・・・唐銅 鬼面 切合 清右衛門造
風炉先・・不徹斎好 起風
水指・・・時代 オランダ
棚・・・一啜斎好 烏帽子 小兵衛造
茶入・・・利休瀬戸 直斎箱書
茶碗・・・黒 あやめ写し 長入造
副・・・呉器写 仁清造
茶杓・・・一翁作 銘「一滴」 共筒
蓋置・・・黄瀬戸 竹節 魯山人造
「本物の魯山人の作品はなかなかないと聞いています。(星岡窯(せいこうよう)で多くの職人に料亭用の器を作らせていたため、魯山人の作というものが大量に出回っているとか)一度本物を手にしたいと願っていましたが、こんなところで拝見することができました。魯山人作品についているという「ロ」も本物を目にしました。やはり私が買った魯山人は偽物だな・・・。」
建水・・・伝来形 エフゴ 浄益造
御茶・・・不徹斎好 宇治上の昔 山政小山園詰
菓子・・・銘「苔清水」 松華堂製(半田)
「プルンとした蕨餅の中に若い苔を思わせる浅黄色の餡が透けて見え、涼し気で上品なお菓子でした。」
『松華堂:江戸時代後期に現在の愛知県知多郡南知多町内海東端に『松屋』という屋号で菓子店を開業。その後、11代目当主である内田久平が名古屋・両口屋さんで本格的な和菓子作りを学び、明治30年代前期に現在地の半田に移転開業し、屋号も松華堂とした。
当時から上生菓子を中心に名物菓子の創作を始め、おいしいお菓子作りを目指し、各種博覧会等で優等賞を獲得するまでになる。その後、戦中戦後などの混乱期を乗り越え、『良い食品を作る会』に加盟し、添加物や即製法にこだわらず、伝統的な製法を守り安全で安心な製品作りの理念を学び、当社のポリシーとして、今日まで実行(HPより)』
器・・・縁高 雅峯造
こちらのお道具は図録には全く載っていませんでした。
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